俺は人に「YMO(ワイエムオウ)」と発言するのが嫌いです。YMOと言うと「ああ、あれ。」って思われる、リアクションされるのがイヤだから。ソレをよく知ってる人に対してだったらさほど違和感無いんですが、それでも、多少抵抗あります。
ナンでしょうね。思い入れとか強すぎんですかね?まあ、単純に自分に大きな影響を与えたもののせいか過剰に意識し過ぎなせいなんでしょうけど。
そんなんになった一番の原因はこのカルトQだったんだと思います。これ以前にも打ち込みやらテクノやらをいろいろやってたり聞いてたりしてましたから名前は当然知ってましたし、曲自体ももちろん聞いたことはありましたけど、それほど突っ込んで知っていたわけではなかったんですね。んで、そんなテクノっ子だった高校時代の俺はやっぱ電気のオールナイトとかも聞いてたわけで、「まりんがカルトQに出るぞ。」って話聞いて、むしろ、「まりん目当て」だったんですよ。笑うけど。
そんなこんなのきっかけで見たこのカルトQ、この番組の影響はとにかくデカかったですな。何もかも。番組のオープニングで牧原俊幸のナレーションからPVが流れたところを見た瞬間、背筋に何か信号が走りましたね。スイッチ入った。
もうそれからトリコですよ。音源買い集めたり当時の情報漁りだしてみたり。ネットなんて無い時でしたからとにかく歩き回りましたね。御茶ノ水のレコードショップ、片っ端からシラミツブシにチェックしたりしてましたよ。で、このカルトQ自体もビデオで何百回も見ました。大袈裟でなく。ほんとにVHSテープが伸びきるくらいまで見たせいでデッキの中でテープが絡まって修理出したりしました。(実話。修理に出したときに「YMOカルトQ」とラベルに書いたテープを見られるのがイヤだった。入ってるのがエロビデオだった方がマシなくらい。)
んで、そんな『「カルトQ YMO篇」のカルトキング(詐称)』の俺が、紹介した「カルトQ YMO篇」まとめサイト(?)を見ながら特に印象に残ってる場面をいくつか。
「これが未来の音楽だ、聞け」
まりん目当てだったって話だったけど、この回答者紹介で、「増山さんの大ファンに」なりました。笑 この人、テンション高すぎ。いや、厳密には「タケヒサの大ファン」になったのかもしれません。。
今、改めて回答者の年令見てみたらみんな若かったんだね。当時の俺からはお兄さんに見えてたけど、今こうみると、その印象に残ってたイメージとあまりに違って若かった年を見て驚いた。
Q.YMOファンを自認するイギリスの若手サイバーパンク作家は誰?
A.ブルース・スターリング
んで、この問題をきっかけに「スキズマトリックス」から読み始めサイバーパンクSFにハマリ、ギブスン信者となる。後に「モナリザオーヴァードライブ」というユニット名で(一人でやってたけど)打ち込みのライブやったりするけど、それはギブスンの小説タイトルからそのまんま。
Q.初期YMOの大型シンセサイザー器材を常設していたのはどこの何スタジオ?
A.アルファ・レコードの"Aスタジオ"
当時、一緒に打ち込みやってた友達の家を「Aスタジオ」と言うようになりました。Aスタジオはテクノ機材が非常に充実しており、マリオペイントやSFCストⅡなんかが用意されてました。マリオペイントのループシーケンスとストⅡサウンドテストのSEを「手MIDIシンク」して曲作ってたものです。
A.ニューヨークの"ハラー"
ハラーのライブ映像はVHSで比較的簡単に手に入れやすく(普通に売ってます)、入手後はイヤって程見ましたね。コメントでも言ってますけど仮面が非常に印象的なステージで前述のAスタジオでは無駄に仮面付けて曲作ったりしてました。バカな高校生でした。
Q.YMOの"コンピュータ・プログラマー"松武秀樹独自のグループ名は何?
A.ロジック・システム
そんなタンス職人の最新ニュース。
YMO関連作に、今度は未発表曲集が登場!!
Q.坂本龍一のFM番組にデモ・テープを投稿し、自からのグループでも「タイシゥン・アップ」の音をサンプリングし、ヒットさせたのは誰?
A.テイ・トーワ
坂本龍一のサウンドストリートですな。他にもデモ投稿者の中には槙原敬之氏や高野寛氏、俺の大好きなセガサターンのゲーム「NiGHTS」のサウンドを手がけた佐々木朋子さんらがいたようです。
A.「東風」でTHE ORB
「もう、全然、だけどこれ、そう、東風?」
「これは違うと親父が言ってました」
タケヒサ(タケヒサ呼ばわり)、最高です。確かにORBリミックスは違うと思います。。
「まさに、これがテクノカットでしょうか」
「うーん」
「砂原さんなんかはどうなんですか?やっぱテクノカットは?」
「小さい頃に親父の剃刀でここを剃ってから学校行ってましたけど」
俺も絶好調にモミアゲ剃ってましたね。ええ、バカな高校生でしたから。ってか、最近、モミアゲが斜めにカットされてる人、さすがに見かけなくなりましたね。んなことないっすか?
Q.高橋幸宏がつくっていた"釣りの会"の名前は何?
A.東京鶴亀フィッシング・クラブ
「カルトQ YMO篇」のカルトキングの俺が付け加えてやる。これ、まりんが回答してんだけど、本当の回答は「東京鶴亀磯釣り会」だったはず。言い直して正解してる。会の名前が変わったんだよ。
ちなみに高橋幸宏と誕生日同じな俺。
まあ、掻い摘んで俺の思い出を懐古してみました。
ビデオで何度も繰り返し見てるときにかあちゃん(通称:好子)と一緒に見たりもしたなあ。かあちゃん、教授の大ファンだったからか俺よりもよく知ってた。この後行われ話題になった「東京ドーム再生ライブ」、俺はもちろん見にいったんだけど、あとに衛星放送でライブの放送があったのをビデオにとって見てたらまたかあちゃんも一緒に見てて、教授がコズミックサーフィン弾いてるときにアドリブ入れたとこがあったんだけど、そこで大騒ぎしてたもんなあ。
ああ、家族ネタでもう1つ。ウチの妹(通称・雅子)もよく俺の部屋からレコード持っていって聞いてたみたいだった。パンクっぽいカッコウしてビジュアルロックバンド大好きなんだけど、家では「ビハインドザマスク最高!」とか言ってる俺の妹。
さすがにもうビデオは手元に残ってないなあ。実家にも無いと思う。最後に見たの、何年前だろう?
もちろんまた、今になって見てみたい気持ちはあるけど、全然印象違いそうだなあ。ってか、正直、まとめサイトでテキスト見てただけでもちょっと痛々しかったし、微妙な気持ちになったなあ。
青春だったかどうかはわかんないけど、間違い無くこの番組は当時の俺のかなりの部分を構成する要素になり得たものだった。
うじきつよし、ありがとう。←そっちかよ!
カルトQの時って色々YMOのミックス関連が出まくった頃だよね。僕も当時住んでた札幌でYMO関連買いあさってました。
カルトQビデオ家にありますよ。VHSからDVDに変換できるんで、DVDに焼いてあげましょうか?>オオカワくん
ハンチングクリップ にあるOMIYAGEってオオカワさんが所有してるんですか?僕、小学生の頃に親にねだって買ってもらった思いであります。確か、例の腕章(赤地に黒文字)が特典でついてきたと思います。細野さんがベッドの上に体育座りしていたページが今でも印象的に覚えてます。
>ガ!様
最近は散開20周年?でまた盛り上がってるみたいですよ。
Qのビデオはありがたいですがもう見ないでいいです。
青春の思い出という心のテープに録画してありますから。
>sizimi様
ええ、自分のです。ってか、昨日の夜にこのエントリー書き始めて
思い出したように宝物コレクション引っ張り出してみました。
中でもOMIYAGEとソリッドステートサバイバーイエロービニール盤は特に大事にしてますね。
OMIYAGEはこのカルトQ見た後に御茶ノ水レコード屋めぐりの延長で神田の古本屋で発掘したものを手に入れました。
ので、特典は持ってないんですよねえ。
ってか、小学生にはちょっと難しい?写真集だったかもしれませんね。
でも、当時のYMOは小学生にとってのヒーローだったでしょうから、
ある意味「ヒーロー大図鑑」と同じ感覚でページをめくっていたかもしれませんな。
>名無しがーるど#666(お!)様
増山さん、音楽関係の活動されてたんですねえ。
知りませんでした。
やっぱりこれも、お父様(タケヒサ)の東風教育の賜物になるんでしょうかねえ。。
こんばんわ。
自分のとこでもちょっと書きましたが、私は順序良く(?)「坂本のソロ(千のナイフ)」→「YMOデビュー前」→「YMOのデビューアルバム」と来て、それ以降すべて、という順番で聴いて来ました。
後追いではなく、出る度にリアルタイムにです。まぁ、私がそういう歳なのだと言ってしまえばそれまでですが。しかし、同年代でもせいぜいデビューアルバムあたりからだろうから、よく言えば先見の明があった、悪く言えば変わり者だったということでしょうか。
なにしろ最初の頃、周りの皆に聴かせると、感想は大抵「変わった音楽だね」でしたから。
「OMIYGE」って、初回特典って付いてたのかなー?私はもらった覚えがないのですが。
私は、当時通っていた大学の近くの小さな本屋で買ったのですが、そこのおばちゃんが「そのうち、この本は値打ちが出るよ」って言ってたのが印象的でした。
おばちゃん、あんた何でそんなことが分かったの?(笑)