「サムニンイースト」幹部らによるリフォーム詐欺事件で、同社の訪問販売員らは狙いをつけた高齢者宅の電気メーターなどに、鉛筆で星マークを書き残していたことが分かった。
前に家の玄関先に空き巣マークみたいの付けられた、って話あったけど、あれ、空き巣の確認って意味以外にもこのニュースみたいに、訪問販売、特に悪徳業者同士の目印にされてたりもするもんだったんだね。
住人がどんな人か、販売が成功したかとか、もっと突っ込んだ情報だとほんと、その家の住人の特徴とかまでマーク化されて書かれてたりしそうだなあ。ハイテクなんだけどローテクって言うか、ちょっとアナログ的な感じがする手段だけど、まあきっと確かな方法なんだろうな。それで商売になってたんだから。
で、記事中で気になった点があった。最後のクダリ。
高齢の被害者には、認知症の人も多い。数百万円の被害に遭ったある男性は、被害を説明された後でも、販売員について「親切ないい人だったよ」と話しているという。
俺のおばさん、もう80歳越えてるんだけど、ついちょっと前まで一人暮らしだったのね。で、今は実家でおやじと一緒に住むようになったんだけど、その一緒に住むようにしたキッカケっていうのがまさにこんな話、騙されてお金取られちゃってとかって問題になったから。
何を買わされたとか、手口がどんなんだったとかまでは詳しく聞いてないんだけど、でも、結構な被害にあったみたい。その被害額も正直、聞いて俺も「マジで!?」って思うくらいの額だった。
それで、おやじもおばさんに「しっかりしてなきゃダメじゃないか。」的なことを言ったらしいのよ。そうしたら、おばさんがおやじにこう言ったんだって。「騙されてないよ。いいヒトだったよ。」って。
たぶん、おばさんも本心でそう思ってんだよな。別にウソ言っちゃいないし、そんなつもりもさらさら無いだろう。本当にそう感じて、自分で判断した結果、「お金を使った」ってことが事実なんだろうし、むしろ、自分がいいと思って、そうしたいと思ってやったことに対して、こう、おやじに口スッパク注意されてることのほうが不快に思えてるかもしれん。
詐欺とか悪徳訪問販売はゼッタイに悪い。でも、ビジネスの世界全体を見回す視野でこういうスタイルの商売を分類してみようと思うと、販売をサービスする「サービス業」なんだろうし、法律やなんかで「合法」という明確な線引きさえあれど、世の中には『それに近いサービス業』なんていっぱいあったりするよなあ。
サービスの原点がナンなのかとか、漠然とした話だけど、「お客さんへの奉仕の対価」がサービスビジネスだとしたら、お客さんを納得させ、お客さんが気持ちよく買い物をしたという取引に、その取引の価値を判断できる人間は、「そのお客さんだけ」でしかないんだよなあ。
セレブがすごい高級なブランド品を突拍子も無い金額で買ったりしてるのを見て、「悪徳商法」なんてあんま思わないけど、高齢者が同じくらい高価な羽根布団とか買ってるのを見ると、とりあえず「悪徳商法」の文字がアタマに浮かぶのは、ちょっと警戒心強すぎるだけなんじゃネーかなあー、とかふと考えてみたり。セレブも高齢者も同じように納得という価値の上で買い物してるなら、同じように見えてもいいのにね。
「ヒトの物事に対する価値」って特に、ある程度の世代を跨ぐと極端に偏ってくることがあると思う。子供の頃にものすごい宝物だと思っていたミニカーが大人になってどう見えるか、みたいな。きっとコレに近いような価値観の変化も、こういう話の底にはあるんだと思う。日頃、ヒトとの対話がなくなってるお年寄りからすれば、いい話のできる話し相手への「価値」ってのはやっぱ計り知れないもんなんじゃネーかなあー。その価値の対価が結局、大人から見た悪徳商法だったってだけで。
来るべき高齢化社会のため、福祉の充実やお年寄りの住みよい街作りとかって、最近じゃよく聞くけど、そういう動きの大前提には、「お年寄り目線の価値の理解」って不可欠だろうなあーと思ったね。お年寄りの価値で行動できるというサービス。
悪徳業者の訪問セールスマンの中には、純粋に「お年寄りの目線でお年寄りのも気持ちがわかるヒト」が少なくとも何人かはいると思う。いや、その悪徳業者担当者のほとんどがそういう価値を持ってるヒトなのか?たぶんそうだ。『いいヒトだったよ』って言葉が何よりの証拠だ。