結局、「再販制度」というシステムこそがこういう発想の根源なわけだな。
確かに再販制度のもたらす消費者への利益は大きいと思う。再販制度とは簡単に言っちゃえば、価格や流通量、商品目内容(レパートリー)に関する国内地域格差を無くし、その価格も一定に、平等に消費者へ提供することができる仕組み。メーカーが小売の価格を設定できたりするんですわ。ちっちゃな街の音楽ショップも都心の大型外資系ショップも価格はいっしょで売ってね、って。
しかし、安全で快適な、平等な消費活動のための仕組みが、一定の価格設定のための「標準価格」というかたちで、その消費者の余分な負担になっちゃってるっていうのが現状。また、そのメリットに見合わないくらいの販売価格にウンザリなわけですよ。
確かにそのしくみの発想は良かったと思うけど、それは昔の話。今の日本の情報量や流通力の前には「単なる消費抵抗」といっても過言で無いんじゃないかな。
お店に行かなきゃモノが買えない、現金が無きゃ買い物すらできない、自分の住んでる地域じゃアレが買えないコレが買えない、、、なんて時代では「無い」。CDや本をはじめ、日用品から洋服、家電、食品、旅券なんかもオンラインでクリックすればドコに居ても買える時代。また、現金が無くとも支払いはカードで決済。超ハイテク。
「仕組み」ってのは物事の最大効率を作り出すために考えて行う手順だと思うわけですよ。その最大効率がそれを取りまく要因、環境や生活の変化によって損なわれてしまうようであれば、それはもう「仕組み」として成り立たないわけですな。
現実問題としてその「仕組みの中の人」がいるからこそ、簡単に仕組みの切り替えが出来ないのもあるでしょう。ですが、それを理由にいつまでも「不要の仕組みを動かす」というのはこれこそ生産性無いことだと思います。今回の輸入盤非合法化と、この再販制度が直接結びつかない部分もあるかもしれませんが、多少なりともそこに消費者圧迫が発生するという以上は誰もが無視できない話じゃないでしょうかねえ。
また、文化庁では本件に関する意見書を現在募集しています。
それから、最近の日本では、導入時点でもう、「それって消費者、利用者の最大効率なんですか?」と、首を傾げたくなるような仕組みが、行政・民間問わずイッパイ登場してきて、どうしたもんかな、、って感じですね。困ったチャン。