中央区立 泰明小学校 フランス門の先には昭和4年に再建され、今や蔦の絡まっ...

フランス門の先には昭和4年に再建され、今や蔦の絡まった外観が印象的な校舎が見える

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中央区立 泰明小学校 フランス門の先には昭和4年に再建され、今や蔦の絡まっ...

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錢高組:中央区立泰明小学校

現在の泰明小学校の校舎は、関東大震災後の復興小学校の一つとして1929(昭和4)年に建設されました。その後、太平洋戦争中の1945(昭和20)年5月の銀座大空襲によって大きな被害を受けましたが、構造的には被害は少なく、内外復旧工事を経て、現在もほぼ建設当初のままの姿を保っています。蔦に覆われ、銀座の街にふさわしい趣を持つこの建物の建設工事、および太平洋戦争後の復旧工事は共に錢高組が担当しました。

東京都中央区立泰明小学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて

銀座数寄屋橋交差点のすぐそばにある、築80年を迎えた歴史ある小学校の校舎。 夏になると校舎には蔦が生い茂り、都会のオアシスともいうべき存在の建物だが、この現在の校舎まで至る過程を調べてみると、とても興味深いことに気付いた。それは耐火校舎実現への試行錯誤の歴史ということである。 昭和44年に発行された中央区の学校案内によると、泰明小学校の初代の校舎が建てられたのは明治11(1878)年で、このときは煉瓦造りの2階建ての校舎だったという。 なおこれより数年前、銀座の大通りには、明治政府に雇われたアメリカ人技師・ウォートレスの設計により、錦絵などで有名な〔銀座煉瓦街〕が完成している。これは個人的な推測だが、泰明小も当時はまだ珍しかった耐火素材の煉瓦で校舎が建てられたのも、銀座の都市計画の一環だったのかも知れない。但しこの泰明小の煉瓦校舎は長続きせず、それより約30年後に2代目の校舎へと建て替えられた。