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Kotaro Yamagishi's bJournal - 山岸広太郎のBlog(ブログ): 2ちゃんねる=和製マトリックス
面白い話だった。
ってか、2ちゃんだけじゃなく、このインターネット自体がもう十分、
「マトリックスしてる」と思うんだが。
その中にある2ちゃんも要はそのマトリックスの構成要素のひとつ、
目立つとこにある場所なだけなんじゃないか、と。
「TVゲームの世界」とかもマトリックスたりえるものなのかもしれない。
オンラインのゲームなんか結構あの映画に近い位置付けにあるような気がする。
オフラインのゲームでも現実とゲームの世界とのマトリックスに足を踏み入れている気がする。
あ、ちょっと待った!
オンラインゲームにしろ、アーケードのゲームにしろ『対人対戦ゲーム』って
人←→ゲーム←→人
Aの現実←→マトリックス←→Aの現実
というような「同じ現実にいる人間をマトリックスが仲介している」という
不思議な解釈もできる。
マトリックスってその「中に入る」ものじゃなくて、「通ってくる」ものなのか?
「マトリックス」ってなんだろう?
ものすごい大雑把な解釈として2つの異とする空間を「マトリックス」と定義してもいいなら、
「本当」と「本当じゃない」とかはマトリックスなのか?
「本当」の定義って、何を基準に定義してんだ?
「現実」ってことか?
現実は何をもって現実なんだ?
「生きてる」ってことか?
生きてるってものはどっから判断すればいんだ?
そこにいる「自分」か。
現実世界を現実に生きている自分の中の「マトリックス」ってことか?
学校にいるときの自分。会社にいるときの自分。
友達といるときの自分。家族といるときの自分。
部屋で一人のときの自分。
マトリックスって現実世界で生活してても存在し、
また、対極という二極化ではなく、多極無数にある世界で構成されたものなのか?
多極無数にある世界のどれがいったい「本当の現実と本当じゃないマトリックス」なのか?
わけわかんなくなってきた。
「現実」と「マトリックス」ってのは人それぞれの、
その人自身が自分の価値観で「現実」と決めてもいい『都合』のことのような気がしてきた。
そんなことなのか?
「マトリックス」って、その人の、その時の「気分」ってことか?
自分の価値観の上で作られたものが「マトリックス」なんだな?
ほうほう。
俺もボンヤリと自分の「現実とマトリックス」がなんなのかわかってきた。
「面白い日は、『現実』。面白くない日は、『マトリックス』。」
だな。きっと。
一作目で生命維持装置に入れられて、コンピューターに
エネルギーを吸い取られながら、“楽しい夢”を見せられてる
おびただしい数の人間が出てくるシーンがあったじゃん。
その“楽しい夢”が、今まで“現実だと思ってた世界”。
ホントの“現実”だと、人間はコンピューターという支配者の
エサでしかないわけなんだけど。
会社辞めて無職をしてたときに思ったけど
「見える世界が変わる」んだよね。一気に。
会社に属して働いてお金を頂くっていう循環行為の中に
組み込まれている時とは明らかに世界観が変わる。
そんでもって、「オレはマトリックスがいいんだぁ~」
とかいってネオたちを裏切っていくヤツがいたでしょ?
あいつの気持ちもすごく分かるんだよね。
やっぱ楽しい夢を見たいし、固定収入欲しいし、
精神的にも安定していたいってのもよく分かる。
マトリックスって、そんなようなところかなぁと思いました。
>>nobu
いいコメントする。感動した。
結局、「自分の居場所は自分で作るもの。」なんだろうな。
自分が選んで自分で作った場所、立ち位置が本当の現実だろうし、
与えられるものこそ、「マトリックスそのもの」なんじゃないかと。
その現実とマトリックスは、自分の「現実であり、マトリックス」なわけだから、
別の人から見ればそれは「マトリックスであるし、現実でもある」状況があって
当然なわけだ。
人があーだから自分もそうしたいとか、自分は何であの人と違うんだろう、とかって思うことは
マトリックスの話をしている中では野暮な話で
理想の現実、今いるマトリックスを抜け出したければ
自分で切り開き、それを見出す必要があるってことを
やっぱあの映画は言いたかったんじゃないかと、
今さらになって気が付きはじめた。
ってか、もうこんな時間だ。
明日も朝から仕事(俺のマトリックス)なので
もう寝る。