「心臓が悪い」と思い込んでいた方がいました。先生も患者さんの気が済むまで何度も検査しましたが、まったく異常なし。それでも胸が苦しいなどと叫んではナース室に来る始末・・・それも息を切らし駆け足で来ることもシバシバ(^^;;そのたびに心臓の薬だといいながら、細かく粉末にした砂糖が入れてある偽の薬を飲ませると落ち着くんです。
f-blogのSoutaさんより非常に興味深いコメントをいただきまして、ちょっと気になるのでいろいろ掘り下げてエントリー書いてみたいと思います。
プラシーボの語源はラテン語の「I shall please」らしい。簡単にいうと偽薬効果で、ある病気の患者に「これはあなたの病気を治す薬ですよ」と何の薬利作用も無い錠剤を与えると、その人の病気が思い込みによって治癒、または改善するという効果のことだ。
「医師が頼りなさげだと、患者の具合も悪化するかも。。」って言うような話ですね。『熟年のベテラン医師』って聞くとすごい的確な診療、すばやい処置、また、患者に優しい先生、なんて素晴らしいイメージ全開ですけど、ちょっとこの話の場合は様子が違ったようですな。。
で、この話の中に出てくる言葉で「プラシーボ効果」って言うのがあるんですが、これがまさに、Soutaさんがコメントで書かれてる内容の『砂糖が入れてある偽の薬』のことなんですね。
フラシーボ効果とはようするに、「患者の不安を取り除く、気持ちを落ち着かせる。」という効果を狙ったもののようで、言い換えれば「患者の不安や気持ちの落ち着かない状態がケガや疾病を助長している。」と言えることになりそうです。
話に出てくる「痛いの痛いの飛んでいけ~」なんかは典型的で、「痛いの」なんかは飛んで行くわけ無いのに、「自分の信頼する親がそう言うんだから痛く無くなるだろ?」っていう子供ナリのフィルターを通ったフラシーボ効果によって、気持ちが落ち着いて、ケガの痛みが弱くなるように感じ、また、ケガの不安も弱くなることで結果的に、子供は泣き止んだりするわけですな。フラシーボ効果、恐るべし。
逆のパターン、「マイナスフラシーボ効果」も紹介されてますね。これは患者の不安を大きくしてしまうことでそのケガや疾病の治癒を遅らせる、場合によっては悪化させてしまうこともありうるということだそうですな。先生の印象もさることながら、病院の対応や施設、病室の作りに至るまで、患者の取り巻く環境には最大限、マイナスフラシーボ要因が存在しないように、十分な注意が必要だとも言えそうですね。
さて、「手当て」って知ってます?そう、治療のこととかもよく「手当て」って言われますよねえ。
ことばの雑学 | 「手当て」ということばの由来は?
「手当て」 というのは、日本人の造語です。このことばが、どこから来たのかというと、「てのひら療法」からです。昔の人は、怪我をしたり、胃や頭が痛いと、患部に手のひらを当てていました。これは、手のひらが湿気と熱を発散するので、軽い温湿布の役目を果たすため、血行を盛んにして、患部を治すわけです。
手当ては科学的に証明された民間療法だったんですね。手のひらの湿気と熱が患部の治癒を促進する効果があるわけですね。
ですが、この手当て、神の教えにも証明された「フラシーボ効果」と大きな関係があったんです。
「手あて療法」を受けている患者の死はいかにも安楽であり穏やかである。また苦しんでいるものでも「手あて」をするといかにも安らかに楽になることが現実に確かめられることが多い。だから「手あて」はたんに肉体的な病気を治すだけではなく、魂の安定、霊的救済の意識をもつものであると確信させられるのである。
神仏の信仰と思い込みとを並べることは出来無いと思いますが、その神の教えが心の支えや信頼のような気持ちの落ち着きを持つものだとすれば、その教えから生まれるフラシーボ効果はそれこそ、絶大な効果を生むものだと考えられるのではないでしょか。「神の力で守られている」というのも、まんざら言い過ぎでないような気もしてきました。
ところで、逆のパターン。マイナスフラシーボ効果に起因すると考えられるこんな病気の報告も少なくないということです。
「人間としての苦悩に対し、甘えや弱さといった生き方の姿勢が、病気にすり替えられた"自称うつ"もあります」
自分の身の回りを取り囲む「ストレス」が結局、元気の「不安材料」となり、その不安の理由を「(擬態)うつ病」として訴え、患うケースがあるということです。
「何か不安がある場合、その不安の理由が見えないと、より不安になる。」というようなことが、このような症状の根底にあるような気がします。マイナスフラシーボの典型だと思うのですが、マイナスフラシーボ効果をさらに悪化させないために、その不安な理由を何かしら自分の納得するカタチで見つけたい、と思ったときに、「うつ病」という病として訴えることがこの状況を作り出しているんじゃないでしょうか。
病を訴えることで不安が解消するというのも変な話ですが、これには「ストレス」というものに対する『社会的認知・意識』がすごい重要に関わってるような気がします。話がちょっと脱線しますが、「ストレスが原因で元気が無い。」という状況は、その人が「弱い人間」というイメージに捉えられがちです。ストレスに負けるというものが、社会的に「かっこ悪いもの」と広く思われてることが「うつ病へのすり替え」を生んでる原因になってるんじゃないかと思うわけです。
マイナスフラシーボによる精神疾患の治療でこのような認知行動療法というものが注目されています。
認知のゆがみを、日記をつけたり、怖がっていることに慣れることで修正していくのが認知行動療法だ。
「認知のゆがみ」=マイナスフラシーボには、なんと、日記を付けたりすることがその治療に役立つということらしいのです。日記を付けるということが現実的に状況を認識する為に非常に役に立ち、それを重ねることで認知のゆがみを取り除き、障害の治療を行うという話でした。
マイナスフラシーボ、思い込みによる病の悪化には、あくまでもその思い込み、認知のゆがみを取り除いてやることが大切で、また、その治療に日記を付けることが役に立つ、ということ。
「ウェブログで日記書いて現実的な状況認知を日々行っていれば、マイナスフラシーボ効果による疾患は最小限に抑えられるんじゃないか?」
と、強引にまとめてみたりしてみました。
コメント (2)
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オオカワさん、物凄い考察でびっくりです。
「認知のゆがみ」は自分にもあるかもしれないけど、あんまり自覚はないですね。
日記書きは医者も推奨行為だと言ってました。ただ、MT立てて毎日エントリ書いてるんだからお前は元気なんだろ! みたいな事は時々言われます。
ただ毎日処方された薬飲んで、普通のレベルで生活できるようにコントロールしてるだけなんですけどね。
トミナガ 2004/01/15 #1247
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どーもどーも。
認知のゆがみって元々、「自覚しにくい」ってのが問題なんでしょうねえ。
「自分でそうだと思ってる、ってのがそうじゃない」のが『認知のゆがみ』って事なんでしょうからね。
日記を書くのはあくまで、自分の認知のゆがみの「確認」でしかないようで
「日記を書けばそういう状態がすぐ改善する・改善できる」、なんていうもんじゃないでしょう。
また、日記を書くこと自体が日常という習慣になることで
その書いてるときが心地良い→精神的に落ち着いてくる、なんて効果も期待できそうな気もしますね。
そう考えると奥深いな、日記。
オオカワ 2004/01/15 #1248